むかし疫病が流行しそれを鎮めるために用明天皇元年(585年)に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地にお遷しになり、疫病を鎮め五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。
 中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられる。 住古より正親町夫皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸・富樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃等部門武将深く尊崇。

 前田藩においては氏神として神地寄進社殿造営調度の修復等が絶えず、夏祭天神講を藩祭とし、三日間の中の日を仕事休めの日として、藩内に住む人々全てを参拝させ崇敬の誠を捧げました。


創祀

御祭神

境内末社







ご利益

主な宝物

用明天皇元年(西暦585年)
菅生石部神(日子穂穂出見命・豊玉毘賣命・鵜葺草葺不含命)
春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)
八幡社(応神天皇)
白山社(菊理姫命)
稲荷社(宇迦御魂命)
事比羅社(大物主命)
菅原社(菅原道眞公)
藤森社(大國主命)
病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護
旧国宝重要文化財 正親町天皇御震翰紙本墨書御詠草 一幅
蒔繕角赤梨地手箱目録附 一合